この砂がぜんぶ落ちるまで(3話)

 「それで、夏芽、今何してるの?」

夏芽がコーヒーカップをテーブルに置いたタイミングで、大島は尋ねた。

 「インテリアコーディネーター。大学を卒業して就職したんだけど、三十歳のときに独立してね。それからずっと、ひとりでやってるんだ」

 「ほぉ」
大島は、夏芽の現在を、意外なようにも思えたし、そうでもない気もした。夏芽の高校時代、教師として進路相談にも乗っていたが、夏芽の未来をイメージしたことなど、なかったかもしれない。ただ、高校生の夏芽が、そこにいた。

 人生を半分さかのぼるほど前、初めての転勤で、慣れない校舎と顔ぶれの中で仕事を始めた大島の心には、春から早々に暗澹たる思いが滲んでいた。校風や職員室の雰囲気、とにかく学校全体の空気が、大島には馴染まないものだった。担任クラスの生徒だった夏芽には、最初はこれといって特別な印象を抱いたわけではない。ただ夏芽は、大島が教える国語が得意だった。高校生にしては、文学作品や作家に関する知識が豊富でもあった。それで、ほんの少し親近感を抱き始めたのが、赴任後、最初の夏休みに入る頃である。そこから先、夏芽が卒業するまでの二年間の感情の変化は、数十年を経た今でも、大島の心の中で独特な色を放っている。当時、大島は結婚二年目だった。「もしも、あの時、結婚に踏み切らなければ…」という言葉が、夏芽の在学中、何度も大島の頭の中を往来した。ただ、踏み切っていなければどうなのか、自らの脳内を巡る言葉の先を、具体的に想像できたことは、一度もなかったのだけれど…。

 「で、思いがけないお店に仕事のヒントがあったりするから、いろんなお店を覗くのが癖になってるんだよね」

夏芽が差し出す名刺に、当時と同じ栗原という苗字が印字されているのを無意識に確認して、大島は自分の店の名刺を渡した。

 「なんか、頑張ってるな。お前らしいな」

 「名刺だけ見て、何が分かるのよ?」
笑い声とイジワルが入り混じるような夏芽の話し方に、大島の胸には、照れくささと同時に、数十年前の心の色が、断続的に蘇っていた。

《押し入れの奥に、まだこんな物が隠れてたよ》

夏芽の来店から数週間後、大島は、彼女の名刺にある連絡先に、若い頃にひと目惚れで買った猫の置物の写真を送った。

写真を撮ったのは、その前夜。朝日を浴びる頃から迷っていたが、西日に急かされるように送信ボタンを押した。いつものように、閉店前、砂時計の砂が落ちるのを待つ間に。

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