Mary Queen of Scots(ふたりの女王 メアリーとエリザベス)

新年あけましておめでとうございます。今年も皆さん、映画を楽しみましょうね!

ヘンリー王子の妻メーガン妃が5月の出産を控え、おめでたい話題に事欠かないイギリス王室ですが、約500年前にはこんな血みどろの骨肉の争いが…。イギリスからの移民を先祖に持つKiwiには周知のことなのかもしれませんが、日本で生まれ育った私たちには、学生時代にちょっとばかり世界史を齧ったからと言って、早々簡単に読み解くことのできないイングランドとスコットランドの確執。フランスの血筋を引き、カトリックであるスコットランド王室と、プロテスタントであるイングランド王室は、例え彼らが親戚同士だとしても互いを脅かす存在の犬猿の仲。それが頂点に達したのが、イギリス女王エリザベス1世とスコットランド女王メアリー・ステュアート、その名も「ふたりの女王 メアリーとエリザベス(Mary, Queen of Scots)」。

悲劇の女王メアリー・ステュアート。スコットランド王ジェームズ5世の娘として、生後6日でスコットランド女王に即位。齢5歳でフランス王太子妃に決まり渡仏。『フランスの白百合』と称えられ華やかなフランス宮廷で大切に育てられ、弱冠16歳でスコットランド女王にしてフランス王妃に即位。ここまでがメアリーの絶頂期。しかしその後、坂道を転げ落ちるように、18歳で夫に先立たれ未亡人に。子供がいないメアリーは、スコットランドに帰国して親政を開始するも、宗教対立や周囲の思惑に翻弄され、再婚もままならない。周囲の反対を押し切り19歳のダーンリ卿ヘンリーと結婚し、後のイギリス王ジェームズ1世を産み落とすも、結婚生活は破綻。そして夫は爆殺される。夫殺害後わずか3か月で、愛人であったボスウェル伯ジェームズと再婚したことで、国内外から非難が集中し、25歳で廃位。イングランドに逃れるも幽閉の身に。そして19年間の長い幽閉生活の末、エリザベス1世より44歳で死刑宣告を受け、斬首刑に処されたのでした。

処刑前の演説で、メアリーは「我が終わりに、我が始めあり。」と叫んだその予言通り、メアリーの死後、子どものいないエリザベス1世はメアリーの息子ジェームズをイングランド国王に指名し、エリザベスの直系の血筋が絶たれた後もメアリーの血は延々と現イギリス王室まで脈々と続いていくのでした。

余談ですが、ステファン・ツヴァイクの「メリー・スチュアート」によれば、メアリーの首は一度では落ちなかったらいしい…こちらも一読する価値あり。

この記事は、ニュージーランドの日本語フリーペーパー「KIWI TIME Vol.106(2019年1月号)」に掲載されたものです。

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