”「情熱」が道を開き、逆境が人を強くする” 高橋将智氏

 

 

日本で総務や経理、給与計算、ニュージーランドではパッキングや畑視察、配送事務から貿易事務、在庫管理、ロジスティックス、マーケティング、営業、部門管理と次々に学んだ高橋氏。起業家ではないが経営者として働く高橋氏にお話を伺った。

 

 

アウトプット

グループ会社の一角を担う輸出企業の代表を任されている高橋氏。今の会社から会社代表のオファーがきた時に「この為に今までがあったんだ」と思ったという。

「グループのオーナーは株主ですので、私が起業した訳ではありません。もともとあった会社の経営を任されている『雇われ経営者』で、ホールディングスの様な形態になります。昨年の8月に私が引き継ぐまではカボチャだけを扱っていて、供給できる3ヶ月の間に約1万トンを輸出していました。40フィート(約12X2M)を400コンテナ、2万4千人の方が丸ごと1個を食べることができる量を400回輸出、ニュージーランドでは5位に当たる輸出規模でした」

 

5年計画について

「カボチャだけですと経営が不安定になるので、柑橘系も扱い始めました。国内が固まると輸出も固まると思っているので、国内への供給にも力を入れています。1~3月はカボチャ、5~9 月がメイヤーレモン(Meyer Lemon)、6~12月はイェンベンレモン(Yen Ben)、ネーブルオレンジ(Navel Orange)と年間を通して供給することで安定した経営になるのかなと考えています。私が経営を任されてから、カボチャ、柑橘類、蜂蜜の国内外への販売、日本食の輸入の4つの事業を立ち上げて、5年間でそれぞれがしっかりとした事業として独立して成り立たせる事をターゲットとしています」

自分がやる事の意味を考える高橋氏の哲学は、自分がいいと思う商品の良さを知ってもらい、お客さまに喜んでもらいながら広めていく所にあるようだ。前職では、日本では認知度が低い真空パックのビートルートの輸出を手がけた。

「ビートルーツは認知度がほとんどない商品だったので、販売当初は自分が百貨店やスーパーのマネキンになり、消費者の方々へ『ビートルーツとは何なのか』『どうやって食べるのか』『どんな栄養があるのか』などを説明しながら、手渡しで販売しました。店頭販売でほぼ完売した事もあり、その時は翌日の在庫が無くなったと聞いています」

 

ニュージーランドへ渡航。

人と違うことをしようと、裸足で面接

「大学にいく意味が見つけられなかったんです。高校で商業を勉強していたので、卒業後は経理の専門学校に通い、大手薬局店の経理担当として働き始めました。25歳の頃には約120名ほどの全給与計算、経理総務を一人で担当し、経営に関することも学ばせてもらいました。当時は就職難と言われていましたが、英語ができれば就職先は世界にもっとあるだろうと、27歳の頃から英語学校に通い始めました」

30歳の時、そのまま会社に留まるのか海外に行くのかを天秤にかけチャレンジしようとニュージーランド行きを決断した。到着後はオークランドのポンソンビー通りの店を右側から1店舗ずつ廻り、仕事を探したそうだ。

「サーフィンをしていた事もあって、長髪に短パンとサンダルという典型的なサーファーの見た目で仕事探しをしていました。もちろん見た目で門前払い、片っ端から不採用の連続でした。尋ねる店も無くなる頃、雇ってもらえないのは『他の人と同じ事をしているからダメなんだ』と考えてゴミ箱にサンダルを捨てて裸足でイタリアンレストランを訪れました。運よくヘッドシェフが仕込みをしていて、ちらっと私を見た後『キッチンに来い。皿を洗え』と言われたんですね。1時間ほど必死で洗い続けていると『明日から来い』と。どんな仕事をするのか解らなかったので『何を持ってくればいい?』と聞いたら『まず靴だ』と言われました。ああ、やっぱり世間の常識が必ずしも正解では無いと思いましたね。そこで出会った日本人のマネジャーだった方とは、今でも交流があります」

レストランを辞めてから、サーフィンができる生活を求めてギズボーンに移った高橋氏。パッキングの仕事を探して飛び込みで企業訪問し、何を取り扱っているのか知らないまま「職は無いか」と尋ねたそうだ。

「運よく当時の輸出営業部長が話を聞いてくれて『何ができるんだ』と尋ねられ『何でもできる、前職は経理だった』というやりとりの後『明日から来い』と言われました。ちょうど配送事務を探していた時期だったそうです。その営業部長から、趣味のサーフィンから日本での営業の通訳サポートまで、5年ほど彼から輸出に関わる仕事を学びました。彼の営業は『アートオブセールス』で、通訳している私も欲しくなってしまう様な『商品の良さが引き立つ豊富な知識』を持っていました。その後、営業部長が退職して私が後を引き継ぎましたが、彼の通訳をしながら学んだ、営業のノウハウのおかげで日本の大手企業の契約を獲得できました」

世界のどこへいっても簿記のルールは同じだった為、英語を話せなくても働き先を見つけれた高橋氏は「簿記に助けられた」と語る。

 

情熱が道を切り開き、逆境が人を強くする。

これをやりたいという情熱がないといけない。

高橋氏は育った秋田県の環境や「やりたい事をやらせる」という家庭方針が良かったと言う。人が偶然出会う「やりたい事」とは、何か興味のある物の延長上にある物だから、若い頃には中々出会えないのだと熱く語ってくれた。

「例えば、料理に興味を持つ、飲食店で働く、シェフに憧れる、色々な人と出会う、料理本の記者になるとい感じで、その業界に染まる事で、今まで知らなかった道が見え、やってみたら好きになり、そしてそれが「やりたい事」になると思っています。また、情熱を持ってやっているからこそ、その道に導かれると信じています。日本は就職難と言うけれど日本人であれば働く権利がありますよね。私達や外国人としてニュージーランドにいる人達は、査証がないと働く権利すら無く追い出されるという危機感があります。海外に住んでいる方は母国に住んでいる方とスタートラインが違うんですよ。だから海外に住んでいる皆さんは強いんだと思います」

 

ここに居るのには、何か理由があるはず。

「何でニュージーランドを選んだのという質問が嫌で、新しい人に会いたくない時期があり『なんでここに居るんだろう?』と考えました。そして、日本にいる母がニュージーランドに来た時、秋田の味が恋しくなったらいつでも食べられる状況を作りたいという使命感が生まれたのでしょう。パズルが合わさった感じで、日本食の輸入を始めたきっかけでもあります。こういう出来事は、自分の直感というか、運命だと考えています。

今年の2月にイベントでお会いした抹茶の古畑園さんとの出会いも運命的でした。初めてイベントでお会いして、商品を知って、いまでは販売もしています。いいものだから、広めたいから、です」

 

最後に、起業を目指している方にメッセージをお願いします

「夢や目標、今、目の前で起きている現実には、必ず何か理由があると思います。良い仕事をしたい、成し遂げたいと強く思って行動をしていれば、いつか必ず実現できると信じて下さい。そうすれば困難にも立ち向かう事ができ、克服した時には自信につながります。自分の経験、出会い、可能性はいつか一つの未来に繋がり、大きくなると強く信じて頑張ってください」

 

Masatomo Takahashi

高橋将智

キウィサクセストレーディング

ゼネラルマネジャー

1975年秋田県生まれ。秋田の商業高校卒業後、経理として勤務した後、

2006年ニュージーランドに渡航。趣味はサーフィン、テニス、フライフィッシングなど。

kiwisuccess.co.nz

この記事は、ニュージーランドの日本語フリーペーパー「KIWI TIME Vol.99(2018年6月号)」に掲載されたものです。

投稿者: kjadmin