日本語教育の現場から
敬語表現は日本語学習者にとってマスターするのが最も難しい項目の一つです。おっしゃる、申し上げる、など、特別な尊敬語と謙譲語を暗記した上で、動作の主体が誰なのか、という視点によって両者を瞬時に使い分ける必要があります。しかも、例えば「食べますか」という質問文に見られるように、日本語では動作の主体が省かれてしまうことが多いため、尊敬語と謙譲語の使い分けはさらに難しくなります。また、「来られる」、「待たれる」等、今まで受身表現として習っていた動詞の形も、実は尊敬表現として使う、というのですから、学習者にとってはたまったものではありません。敬語にしばらく慣れてくると、今度は謙譲表現について、「自分の動作だからと言って必ずしも謙譲語を使うわけではない」、というルールが学習者をさらに苦しめます。日本語では「敬意を表す相手に向けた自己の行為」のみに謙譲語を使います。例えば、「(社長を)お待ちしています」、「(お客さんを)ご案内します」という表現がこれに相当します。これに対して、「週末に映画を拝見しました」という使い方は、たとえ「拝見する」という行為が自分の行為であっても、敬意の対象がはっきりとしていないため不適切な謙譲表現の使い方となってしまうのです。もし皆さんが、敬語を自由に正しく使いこなすニュージーランド人に会ったら、その方は相当な日本語の「使い手」といえるでしょう。
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Takahiro.Yokoyama@ara.ac.nz 担当 横山まで
横山高広:セントラルクィーンズランド大学(オーストラリア)日本語教員養成学科主任等を経て、2015年より現ARAクライストチャーチ工科大学日本語教育プログラム上席講師。クィーンズランド工科大学教育学部博士課程修了。教育学博士 (PhD)。専門は、第二言語習得、教員養成。
この記事は、ニュージーランドの日本語フリーペーパー「KIWI TIME Vol.99(2018年6月号)」に掲載されたものです。