“「偶然見る」事ができるのが放送だ” 関川正義氏

日本の良さを伝えたい、日本を訪れて欲しいとの思いで設立したSakura TVの代表。映像の世界に魅せられて始めた制作会社、オークランド日本人会の元会長、警察のアジアンアドバイザリーなど、幅広い活動を行っている関川氏の歴史と今後の取り組みについてお話を伺った。

 

 

横浜港から船に乗って海外へ
「工業高校を卒業後、大手企業に就職しました。会社の研修として図面学校に通い、1年後に本社勤務が始まると賞与を貰ってすぐに退職しました。中学の頃から海外に行きたいという気持ちがあって、日本人が少ないオーストラリアに行こうと決めたんです」

21歳を過ぎた1972年1月に日本を出た関川氏。
「貨物と客船が一緒になった貨客船でオーストラリアのブリスベン港に着きました。当時は日本人への差別が酷くて、ガソリンを売ってもらえなかった事もありました。ある時、リンゴ農園のピッキングで働いた翌日に『クビだ!』と言われてたった1日で無職になってしまったので、職業安定所に行ったんです。そしたら『ビザが切れている。72時間以内に海外に出たらレポートしない』と言われて、すぐに出港できるニュージーランド行きの船のチケットを買ったんです。その時までニュージーランドの存在すら知らなくて、オークランド港にはリュック1つで降り立ちました。そして、ホテルの皿洗いやチョコレート工場、紙の工場や八百屋など色々な仕事をしました」

一度日本に帰国し、1973年11月からの3年間は東京で秘書アシスタントとして在日イラク共和国大使館で勤務、その後はアメリカへの渡航も経験。しかし、「絶対にニュージーランドに行く」と決めていた関川氏は30歳になってから再度ニュージーランドに渡航した。

「日本からの観光客が増えてきた1980年頃に、土産店で働いていたら日本航空の方が来て「カレンダー用のイメージ写真を撮影をするんだけど、ガイドできる?」と聞かれて場所探しやモデルを探したのが映像の世界への第一歩でしたね。勤務先のオーナーにその話をしてみると『マサ、それはビジネスになるから撮影の会社を作ったら?』と言われて、1982年にオーナーと『Film Safari』という会社を作りました。撮影のことを何も知らなかった設立直後、オーストラリアの撮影を牛耳っていることで有名な島田さんが、仕事でニュージーランドに来て『撮影の仕事、手伝えるんだって?』と尋ねられた縁で、島田さんからコーディネートや撮影のことを学んだんです。

1980年代後半の日本は撮影ブームで、映画やコマーシャル制作が盛んで予算もあったので、日本からスタッフが100人ほどが来たり、日本から運ばれてきた車を走らせたり、たくさん仕事をしました。日本の景気が悪くなった1990年代後半以降は当地でのロケが少なくなると同時に、風景だけ撮影して加工するとか、昼食はハンバーガーとか、予算も出なくなってビジネスとしては落ちていきましたね」

1997年にNHKワシントン支局からの依頼でNHKとTVNZ とのニュース素材交換契約更新のためにニュージーランドを訪れる原田(元支局長)さんの通訳をする事になった関川氏。

「原田さんからニュージーランドにはNHKないのかと聞かれたんですが、観るすべが無いんですね。そしたら『やればいいんじゃないの』って言われて、必要なものや資金などを調べて、1999年にWTV(World TV Ltd. )を設立しました。設立はしたけど運転資金がなくて、日本でスポンサーを探したのですが、見つからなかったですね。それまでの貯えはあったけど『自分のお金を全部投げ出してするのはビジネスじゃない』から。弁護士に相談して、韓国の方を紹介してもらったんです。『俺も韓国人に放送したかった』と話が進み、共同でする事になりました。資金がなくて、何も進んでいない頃に香港の資産家を紹介してもらって、その方が多額の資金を出資してくれました。『衛星で放送するには5百万ドルかかるから、まだビジネスとしては無理だ』という問題が未だ残っている時に、台湾や中国など8ヶ国の人が集まって、2000年6月1日『ニュージーランドにいる日本人に日本の番組を届けたい』という想いとともに、ようやく開局。放送を開始してから加入者を集めて、資金的にも大成功でした」

2010年頃から、インターネットの普及で動画を無料で観る人が増えてきたが、ニュージーランドで正式にきれいな映像を観られるのは、WTVだけであった。

 

Sakura TV誕生。
「リスクも大きくて、失敗したこともたくさんあります。ビジネスはコンセプトが大切で、WTVは「ニュージーランドにいる日本人に日本の番組を届けたい」というコンセプトを100%クリアしたと思っています。そして今度は『日本の良さを伝えたい。ニュージーランド人に日本に行ってもらいたい』という想いで、2004年にSakura TVを設立しました。日本で『こんな放送をしたいので援助してもらえませんか』と聞いても、『賛同するけど資金が無いから援助できない』と断られるなか、インキュベーションタイムと自費で営業に行ってました。そして、2015年から正式にSakura TVの放送を開始しました。インターネット配信だと映像が途切れたりしますが、高額な専有回線を利用し、高画質の映像をNZ全国に提供しています。ニュージーランドの人々に1人でも多く、日本に行ってほしいというコンセプトがなかったら続いていないですね」

2019年ラグビーワールドカップや2020年東京オリパラ、2021年のワールドマスターズなど公式イベントが日本で開催される事もあり、日本政府との関係が近くなったという。また、農水省や観光庁からも協力を得られるようになった。Sakura TVはニュージーランドで「日本の情報を英語で紹介する番組を放送」している。つまり、日本国内で発信するのではなく、日本国外で発信して拡散しているのだ。放送される番組は、東京、京都、大阪を含め、全国各都道府県市町村を幅広くカバーし、観光、食、文化、自然、歴史をはじめポップカルチャー情報も取り上げている。日本の映像を使用しているので、時々日本語も聞こえてくるそうだ。

放送とオンデマンド。
「偶然見る」事ができるのが、放送だ。
「放送は、知らないものを突然観ることができるんです。観たい番組しか観ないと、視野が狭くなってしまいます。実際に、総理大臣の名前すら曖昧な日本人がいます。でも、放送をずっと流すことで、興味がない事や観た事がない所などを観せたり、知る事ができます。少し前に、朝のテレビ番組でコメディフェスティバルを取り上げていて、私はそこで初めてフェスティバルの存在を知ったんです。もともと好きな人は、フェスティバルのことを知っているけど、そうでない人は知らない。そうしたことを『偶然見せる』ことができるのが放送だから続けていきたいと思うんです」

 

最後に、起業しようとしている方にメッセージをお願いします。
「私は常に、お金はゼロで始めています。理念があれば必ず賛同してくれる人がいます。そしてその理念は絶対に曲げない、やり遂げるまで信念を貫くことが大切だと思います。過去も未来も現在も曲げない、仮に資金的に成功していなくても、自分の理念がクリアすれば、それは成功と言えます」

 

関川正義:Sakura TV代表。昭和26年新潟県生まれ。1981年制作会社CUBIC設立。WTV(World TV Ltd)創設者、株主。オークランド警察アジアンアドバイザリー活動、オークランド日本人会の会長を務めた後、現在はアドバイザーとして同会にて活動中。趣味は車とカーレース、釣り。
W:sakuratv.com

 

この記事は、ニュージーランドの日本語フリーペーパー「KIWI TIME Vol.99(2018年6月号)」に掲載されたものです。

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