
ある秋、くるみの木は、こう言いました。
「秋は、みなさん、寂しそうですね」
私は、「そうですか?」と、ウトウトしかけた首を起こしてくるみのほうを向きました。
「空も、雲も、地面に落ちた葉が走ってゆく足音も。ハチも、鳥も…。
寂しそうで忙しそうで…。でもなんだか、のんびりもしていて…」
「あら、寂しそうなだけじゃないのね」
私がクスクスと笑うと、
「とにかく、みなさん、ひと他人のことなんか、おかまいましという気がするわ…」
とすねたような声を出した後、「でもね」とくるみは一気にしゃべりました。
「あたし、秋が好きなのよ。
だってほら、あたしの子どもたちが、実を破って、あの青いような甘いような香りの種を、せっせと大きくしているのよ。そりゃもう、みんな、大忙しなの。
でもあたしはね、慌てるのはよしなさいって言うのよ。のんびりでいいんだって。
まぁ、のんびりな子もいるけどね。
とにかく、子どもたちがウズウズするこの時季は、私もソワソワしてね。これが、好きなのよ」
「ほらほら、そんなにはしゃいだら、実が落ちてしまうわ」
葉を落しながら大きな声を出す私に、くるみは、誇りを隠した気恥ずかしそうな笑みを向けました。
きっとこの秋も、くるみはたくさんの種を産むでしょう。
秋の寂しさも、忙しさも、のんびりも。外に見えるものはすべて、自分の内にあるのかしら?
そんな話を、再来年あたりに、してみようと思います。
この記事は、ニュージーランドのビジネス系無料雑誌「KIWI TIME Vol.110(2019年5月号)」に掲載されたものです。