今夜の月の色【第1話】

 

 

【第1話】

「なんだ、これ…」

思わず、声に出した。《遠くからですが…》おかしな件名のメールである。新手の詐欺か何かだろう。まったく、あれこれとよく思いつくものだ…とそのメールをゴミ箱へと移動させようとする直前に、ハッと思い出して手が止まる。

「もしかして…」

また、無意識に声が出る。

 何か月前だろうか。酔った勢いなのか、妻と死別して子どもたちも独立した後の一人暮らしの静けさからなのか。とにかく俺は、メル友募集掲示板なるものに投稿をした。

(今どきメールなんて…)

(50代も後半のおじさん、誰も相手にしないだろう…)

そう思いつつの、もしかすると、ほんの暇つぶしの衝動だったのかもしれない。

誰かからメールが来るなどとは、ほとんど想定していなかった。

 そのメールを開こうとマウスを動かす手は、表面は平静を装いながら、奥のほうで、少し震えている。

カチッとクリックする音が、やけに硬く耳に響いた瞬間、

(サクラかもしれない)

と自分の声が頭の後ろのほうから響く。少し熱を持ったように感じた指は、瞬時にしてヒヤリと冷たさに転じた。

 ほんの数秒の間に波打った感情の隙間に、文字が飛び込んでくる。

 《ヒロさん、こんにちは。

メル友募集の掲示板を見て、メールさせていただきました。

私は、リカと申します。四十代のシングルマザーで、日本に住んでいます。

ヒロさん、オセアニアにお住まいなんですね。

私、学生の頃、少しだけニュージーランドに留学したことがあって。

なんだか懐かしくなって、ついメールしてしまいました。

ヒロさんのメル友募集の投稿、何か月か前なので、

もしかしたら読まれないかもしれませんが…。

よろしかったら、お返事いただけると嬉しいです。

リカ》

 サクラ…ではないような気がする…。

俺は、自分を“ヒロ”と名乗ったのか。

本名が”ゆきひろ”だから、後ろの二文字を使ったのだろうけれど、

それすら忘れていた。

 俺は、しばらく、ぼんやりとそのメールを眺めていた。

 

ほほか:主に日本向けに、女性の美容健康についてのコラム、女性向け恋愛小説等を執筆するフリーライター。外見の美よりも内面の健康と美しさにフォーカスして、より多くの女性が充実感とともに毎日を生きるサポートとなる文章がテーマ。2002年よりNZ在住。散歩、読書、動物とのたわむれ、ドラマと映画鑑賞が趣味。

この記事は、ニュージーランドの日本語フリーペーパー「KIWI TIME Vol.91(2017年10月号)」に掲載されたものです。

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