この砂がぜんぶ落ちるまで(1話)

 少しずつ、夕暮れていく。
小さなテーブルに置かれた砂時計を、大島は、クルリとひっくり返した。最初の一瞬だけチリリと音を立てた砂は、静かに小さな山を作ってゆく。それを包む薄いガラスは、西日色の柔らかい光を、内包しながら放っていた。

 定年退職後、大島龍平が、自宅の一部を改装して小さな雑貨店を始めてから、もうすぐ三年になる。夕刻、閉店時間になると、店の中央にある小さなテーブルに手を伸ばす。そして、砂時計が五分間を刻む間だけ、店の入り口に立って外を眺めるのが、彼の習慣になっていた。「さて」振り返り、すっかり砂が落ちているのを確認すると、大島は静かにドアを閉めて鍵をかける。

 教員時代と違い、通勤に要する時間がない。店の奥のドアの向こう側は、もう自宅である。大島は、キッチンに向かうとお湯を沸かし、冷蔵庫から昼食の残り物を取り出してレンジで温める。十年ほど前に離婚をした直後には、正直、家事の何もかもに戸惑った。自分なりに妻の手助けをしてきたつもりだったが、それは夢だったのではないかと思うほどに、掃除も洗濯も料理も、最初の取りかかりが分からない。しかし、年月というのは、傷を癒やす薬になるだけではないらしい。新たな習慣を生む栄養剤でもあるようだ。六十代も中盤になった大島は、今、一人暮らしの家事を流れ作業のようにこなしている。

 大島が雑貨店を開こうと考え始めたのは、四十代の後半からだった。教員生活も折り返し地点を過ぎ、定年後を想像すると、どこかリアルな温度や音を感じるようになった頃だ。もともと、珍しい物や古い物が好きで、若い頃からコレクションとして買い集めていて、最初は「買う側ではなく売る側になるのも面白いかもしれない」と思っていた程度だった。しかし、予定外の離婚をし、徐々に体力の衰えも感じてくると、手元にある大切な物たちに対して「俺が死んだら、どうなるんだ?」という疑問が湧いた。子どもがない大島には、受け継いでくれる人もいない。大島の中で、疑問は、すぐに同情に変わった。何十年か後のコレクションたちの行く末を思うと、哀れさと切なさで胸が締め付けられる。その頃から、彼は、定年後に開く雑貨店は、自分が集めてきた物を、大切にしてくれる誰かに引き継ぐための店にしようと心が固まってきた。

 いざ開店すると、雑貨店は予想よりも繁盛した。そしてもうひとつ、予想外のことが、彼に起こってきたのである。

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