「秋と漫歩」萩原朔太郎(青空文庫より)

(中略)

 だが私が秋を好むのは、こうした一般的の理由以外に、特殊な個人的の意味もあるのだ。というのは、秋が戸外の散歩に適しているからである。元来、私は甚だ趣味や道楽のない人間である。釣魚とか、ゴルフとか、美術品の蒐集(しゅうしゅう)などという趣味娯楽は、私の全く知らないところである。碁、将棋の類は好きであるが、友人との交際がない私は、めったに手合せする相手がないので、結局それもしないじまいでいる次第だ。旅行ということも、私は殆どしたことがない。嫌いというわけではないが、荷造りや旅費の計算が面倒であり、それに宿屋に泊ることが厭だからだ。こうした私の性癖を知ってる人は、私が毎日家の中で、為すこともない退屈の時間を殺すために、雑誌でもよんでごろごろしているのだろうと想像している。しかるに実際は大ちがいで、私は書き物をする時の外、殆ど半日も家の中にいたことがない。どうするかといえば、野良犬みたいに終日戸外をほッつき廻っているのである。そしてこれが、私の唯一の「娯楽」でもあり、「消閑法」でもあるのである。つまり私が秋の季節を好むのは、戸外生活をするルンペンたちが、それを好むのと同じ理由によるのである。

 前に私は「散歩」という字を使っているが、私の場合のは少しこの言葉に適合しない。いわんや近頃流行のハイキングなんかという、颯爽たる風情の歩き様をするのではない。多くの場合、私は行く先の目的もなく方角もなく、失神者のようにうろうろと歩き廻っているのである。そこで「漫歩」という語がいちばん適切しているのだけれども、私の場合は瞑想に耽り続けているのであるから、かりに言葉があったら「瞑歩」という字を使いたいと思うのである。

 私はどんな所でも歩き廻る。だがたいていの場合は、市中の賑やかな雑沓の中を歩いている。少し歩き疲れた時は、どこでもベンチを探して腰をかける。この目的には、公園と停車場とがいちばん好い。特に停車場の待合室は好い。単に休息するばかりでなく、そこに旅客や群集を見ていることが楽しみなのだ。時として私は、単にその楽しみだけで停車場へ行き、三時間もぼんやり坐っていることがある。それが自分の家では、一時間も退屈でいることが出来ないのだ。ポオの或る小説の中に、終日群集の中を歩き廻ることのほか、心の落着きを得られない不幸な男の話が出ているが、私にはその心理がよく解るように思われる。私の故郷の町にいた竹という乞食は、実家が相当な暮しをしている農家の一人息子でありながら、家を飛び出して乞食をしている。巡査が捕えて田舎の家に送り帰すと、すぐまた逃げて町へ帰り、終日賑やかな往来を歩いているのである。

 秋の日の晴れ渡った空を見ると、私の心に不思議なノスタルジアが起って来る。何処とも知れず、見知らぬ町へ旅をしてみたくなるのである。しかし前にいう通り、私は汽車の時間表を調べたり、荷物を造ったりすることが出来ないので、いつも旅への誘いが、心のイメージの中で消えてしまう。だが時としては、そうした面倒のない手軽の旅に出かけて行く。即ち東京地図を懐中にして、本所深川の知らない町や、浅草、麻布、赤坂などの隠れた裏町を探して歩く。特に武蔵野の平野を縦横に貫通している、様々な私設線の電車に乗って、沿線の新開町を見に行くのが、不思議に物珍らしく楽しみである。碑文谷、武蔵小山、戸越銀座など、見たことも聞いたこともない名前の町が、広漠たる野原の真中に実在して、夢に見る竜宮城のように雑沓している。開店広告の赤い旗が、店々の前にひるがえり、チンドン楽隊の鳴らす響が、秋空に高く聴こえているのである。

 家を好まない私。戸外の漫歩生活ばかりをする私は、生れつき浮浪人のルンペン性があるのか知れない。しかし実際は、一人で自由にいることを愛するところの、私の孤独癖がさせるのである。なぜなら人は、戸外にいる時だけが実際に自由であるから。

底本:「猫町 他十七篇」岩波文庫、岩波書店
   1995(平成7)年5月16日第1刷発行
底本の親本:「萩原朔太郎全集 第九卷」筑摩書房
   1976(昭和51)年5月25日
入力:大野晋
校正:鈴木厚司
2001年10月11日公開
2016年1月17日修正
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この記事は、ニュージーランドのビジネス系無料雑誌「KIWI TIME Vol.111(2019年6月号)」に掲載されたものです。


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