神代ブラウン典子氏(Simultaneous interpreter)

同時通訳者。各国代表が一堂に集う国際会議などで間違いが許されない極度な緊張の中、あくまでも黒子として話し手に合わせて同時に通訳していく姿は、職人そのものだ。オーストラリア在住で、オセアニア地域では数少ない同時・逐次通訳者として長年活躍している神代(こうじろ)ブラウン典子氏は、ニュージーランドで通訳する機会も多いという。アメリカ脱退後のTPPの原動力ともなった日本NZ経済人会議や、NZ初の私立高等教育機関である環太平洋大学NZキャンパス等での通訳がNZでの主な仕事だ。NZ滞在中の同氏に話を伺った。

日本とカナダの狭間で

日本に生まれた神代氏は、小学5年次から高校2年次までをカナダのロッキー山脈の麓の街で過ごした、いわゆる帰国子女だ。帰国子女がバイリンガルを生かして通訳者になるという流れは、あまりにも一般的過ぎて、通訳が自分のキャリアになるとは考えたくなかったという。

「カナダでの過ごした中学・高校生活は好きでした。なのであと1年で高校卒業というタイミングで日本への帰国が決まった時は、卒業まではカナダに残りたいと主張したのですが、両親がもし私だけを残して帰国した場合、娘が二度と日本に戻ってこなくなるではと思ったのか、家族皆で帰国することになりました。高校2年の終わりに東京の帰国子女協力校に転入しましたが、英単語がたくさん混ざった私の日本語は、クラスメートからも『何を言っているのか分からない』と言われたほど。『カナダ育ちなのに英語できないの?』と言われるのが嫌で、日本式の英語勉強もしましたが、他の科目の勉強は試験前の一夜漬け。受験勉強は一切しませんでしたし、大学も面接だけで受かったので、『なんか入っちゃった』というような感じでした。入学した大学には帰国子女も多く、私のような環境で育った学生もたくさんいました。そこで否が応でも直面しなければならなかったのは、私の日本語と英語は、どちらも中途半端だったということでした。

 ただ、カナダでの学校教育が日本で役立ったこともあります。『自ら考える』という力がついたことです。帰国した高校3年の夏休みのことですが、日本ではおなじみの読書感想文の課題が出ました。私の文章はひらがなばかりで子供っぽく感じたので、母親に読んでもらったところ、「あなた、こんなに日本語が書けたの?」とびっくりされました。これは日本語表記能力のことではなく、内容についてです。今思えば、このことはカナダと日本の教育方法の違いを端的に表していると思います。カナダでは、常に考えて自分の意見を書くエッセイを課題として与えられました。日本の同級生の作文を読ませてもらって不思議だったのは、感想文というより、まとめ文だったり説明文だったりで、「感想文」であるはずなのに、自身の意見が書かれていなかったことです。テストについても、当時の日本では選択問題や、簡単な単語で答えるような内容が多かったのですが、カナダではエッセイが中心でした。私の住むオーストラリアでも似たアプローチですし、ニュージーランドでもそうなのではないでしょうか」


サイマルアカデミーでの出会い

日本がバブルで浮かれる少し前の頃、入学した大学に在籍し続ける理由が見つからず、1年で退学した神代氏は、特に目的もないまま英会話学校の講師をして日々の生計を立てていたという。オーストラリア人のご主人に出会ったのもその頃だ。

「勤めていた東京の英会話学校で主人と出会い、結婚しました。しかし主人は東京での暮らしになかなか馴染めず、オーストラリアに生活拠点を移すことを決めました。私は自立心が強く、専業主婦に収まるのは嫌だったので、渡航前にオーストラリアでも役に立ちそうなスキルを身に付けたいという気持ちがありました。当時の帰国子女(特に女子)にはキャリアのオプションがあまりなく、子育てをしながらのキャリアとして、フリーの通訳者は自分に合っているのではないかと思ったのです。そこで日本初の通訳養成所だったサイマルアカデミーの入学面接試験を受けました。あまり深く考えずに面接に臨んだのですが、『英語が上手だからといって通訳者になれるわけではないですよ』と先制パンチを受けてしまいました。それでも無事入学が決まり通い始めたサイマルアカデミーのクラスは、日本の同時通訳者のパイオニアでもあり、アポロ月面着陸の同時通訳で知られる村松増美さんや、第一線で活躍する現役通訳者など講師陣は華々しい方達ばかりだったので、別世界の人という感じで、そんな世界に自分が飛び込めるなどとは思っていませんでした。面白そうだとは思いましたし、他に道はないと自覚していたので、勉強をはしました。でも、自分が国際会議で通訳する日が来るとは夢にも思っていませんでした」

初めての大役

英語を上達させるのに必死だったクラスメートを横目に、日本語習得に勤しんだ神代氏。次第に努力も認められ、2年目にはサイマルアカデミーから通訳の仕事を打診されたという。

「EC(EUの前身)の昼食会で、参加者の『日常会話の通訳』をすればいいだけだからと説得され、おそるおそる引き受けた初めてのお仕事でしたが、よくよく後から考えてみれば当たり前なのですが、『EC』に関わる方々の『日常会話』は国際情勢のことばかり。通訳の仕事は慎重に引き受けないといけない、ということを身にを持って知らされました。そんな私でしたが、いただいたお仕事には真摯に取り組んだ結果、サイマルアカデミーの専属通訳のお話をいただいたのです。しかしオーストラリア行きを決めていた私は、そのお話を丁重にお断りし、日本を離れました」

オーストラリアで通訳者になるということ

日本に比べると圧倒的に通訳の需要が少ないオーストラリアのような国では、メリットもデメリットもあるという。通訳者としての経験値を高めるために、どうされてきたかを伺った。

「通訳のお仕事が少ない分、通訳者数も少ないため、仕事が回ってきやすいというメリットはあります。しかし、通訳者になりたての経験が少ない方、あるいはスキルがプロレベルに達していない方に、大きな仕事が回ってきてしまうこともがあります。つまり自分の能力を超えた通訳の仕事が来てしまうということです。国際会議では、国を代表する者同士が議論を交わすため、通訳者は本当に気を付けて訳さないといけません。国際問題に発展する可能性がないとは言えないですから。しかし、ステップアップをしていかないと、自分のスキルも対応できる分野も広がっていかないのが事実です。

 オーストラリア在住2年目、友好関係に関する会合で州首相の通訳をしてほしいとの依頼を受け、そこまでの大役を任されたことがなかった私は、信頼する先輩に相談したのですが、「自分の力量の少し上だと思っても、やってみた方がいい」とアドバイスを受けました。少しずつ仕事のレベルを上げていく。そうすることによって、通訳者として成長できるというのです」

未知の世界を垣間見る

現在はAIIC(International Association of Conference Interpreters 国際会議通訳者連盟)のほか、日本やオーストラリアの通訳エージェント、口コミを通じて仕事の依頼を受けている神代氏。国際会議だけでなく、さまざまな分野の人たちと関われるのが楽しいという。

「通訳者になってよかったことは、普段経験できない世界を垣間見られることですね。大変なこともたくさんあります。翻訳と違い、通訳では分からない単語が出てきても、その場で辞書を広げて調べるわけにはいきません。なので、事前準備やリサーチがとても大事です。1日の仕事でも、2週間かけて準備することも珍しくありません。しかし、いくら準備しても想定外のことがあるのも常です。

 スリランカで開催されたアジア地域の農業従事者の会議では、東北の米作農家の方もいらっしゃり、通訳ではなく、日本語の聞き取りに苦労しました。でもその農家の方から、よく東北弁をちゃんと訳してくださったと感謝された時は、嬉しかったですね。オーストラリアの地方にある汚水処理施設では、強烈な刺激臭との戦いでした。この時も、あの匂いの中でよく通訳できたね、と言われたのを覚えています。

でも、あまりデリカシーのない方がいらっしゃることもあり、その都度、瞬時の対応に追われることもあります。オーストラリアの高齢者ケアが、まだ日本よりも進んでいた20年以上前のことです。オーストラリアでもNZでも、高齢者施設では入居者の皆さんはきれいな身なりをされていますよね。ところが、現地高齢者施設視察に参加されていた方が、入居者のひとりの方に「どうしておばあさんなのに、そんなにきれいな格好をしているの?」という質問をしてしまったのです。おそらく日本のその方が運営されている施設の入居者には、身だしなみにあまり気を使わない方が多かったのではないでしょうか。普段はできるだけストレートに訳すよう努めますが、お年寄りを侮辱することがあってはならないと、”You look so lovely today”と語りかけたところ、その入居者は『いつもこうよ』と嬉しそうに返してくれたので、結果的には質問に答える形になりました。

 頑張ったご褒美とでもいうのでしょうか、たまには国際通訳者ならではの貴重な経験をすることもあります。当時、日本の首相だった小泉純一郎氏が来豪された際にお話しさせていただく機会がありました。少しリラックスなさるような場面で本音を漏らされたり、個人的なお話をされたりと、総理大臣とはいえ、可愛らしい側面もおもちなのだなと、とても印象に残りました」

子供の日本語習得は「楽習」

NZでは、キウィとして生まれ育つ日本人も増えてきているが、子供達の日本語教育をどうするか?ということも各家庭では大きな問題であるといえよう。神代氏のお子さんは男子3人兄弟。皆が英日バイリンガルで、全員日本に関わる仕事に就いているという。バイリンガルのメリットや盲点について聞いてみた。

「『バイリンガル』というと聞こえはいいかもしれませんが、どちらのエキスパートにもなれない可能性もあるということです。通訳養成所に通い始めた頃の私自身の英語は高校生レベルに過ぎず、日本語レベルはクラスメートの足元にも及ばないということを自覚し、そこに肉付けをしていくことで、両言語の向上を心がけてきました。息子たちには、日本語教育を無理強いしませんでした。楽しくないと何事も身に入らないですよね。子供達には学習ではなく『楽習』を心がけました。本の読み聞かせや、私が面白いと思ったマンガを勧めたりしてきました。3人の息子が高校を卒業する頃までは1年に1度ほどの頻度で家族で日本を訪れ、2~3週間過ごすようにしてきました。子供達には日本の学校の体験入学を勧めたこともありましたが、強く反対されたため、それならば…ということで、日本の歴史・文化が体感できる地への旅行、いわば家族修学旅行を習慣にしました。また、私もそうであったように、息子たちもマンガやアニメが大好きになり、好きな作品について語るときはもちろんのこと、日常的には兄弟同士でも日本語を使っています。言語習得だけでなく、文化継承にも役立つものではないでしょうか」

これから通訳者を目指す方に

「『翻訳か?通訳か?』と問われれば、AIが急速に進歩し、より高度な翻訳が可能になってきている傍ら、通訳の世界にAIが入り込んでくるのにはまだ少し時間がかかりそうだ、と言えそうです。

 通訳では事前準備やリサーチが欠かせないと言いましたが、実地ではその通訳を必要とされる方々に合わせた言葉や話し方を使わなければなりません。国際会議、ビジネス、高齢者や福祉関連、教育関連、医療関連など、内容だけでなく、話し方やスピードなども違ってきます。幅広い層を対象にした言葉使いを身に付けることのも必須です。

必須道具

❶タイマー:2人もしくは3人体制で仕事をする際、15分程度で交代するのですが、通訳に集中していると時間の感覚がなくなってしまうことがありますので、使っています。もちろん音が出る設定ではなく、光が点滅する設定にしています。❷双眼鏡:事前にパワーポイントなどをいただけず、しかもスクリーンが遠くて肉眼では見えにくい場合に使います。❸イヤフォン:同時通訳の時に使うイヤフォンです。会場に設置される同時通訳機材にイヤフォンはついていますが、自分が使いやすい物を持参しています。❹コネクター:自分のイヤフォンが機材に合わないことがたまにありますので、様々なコネクターを持っています。通訳者が3人いるのに、二人分のイヤフォンしか機材に接続できない場合に一箇所から二つのイヤフォンを接続できるようスプリッターも持っています。❺延長コード:これを使うのは稀ですが、通訳専用のシステムがなく、会場のサウンドシステムにイヤフォンを繋げなくてはならない場合に延長コードがあると便利です。❻文具:料の整理に不可欠なクリップ、セロテープ、付箋やペン類(ハイライター、フレクション・ボールペン、普通のペン)。❼メモリースティック:最近は使う頻度が少なくなりましたが、一応持っています。

新しい世界を知ることができる通訳の仕事は面白い

私の場合は、日本での学校教育年数が少ないこともあり、語彙が弱点ということを分かっているので、仕事でもプライベートでも、気に入った、あるいは気になったフレーズは書き留めて、その後、自分でも使うように意識しています。そうでないとすぐ忘れてしまうので」

同時通訳と、2-3センテンスごと訳す逐次通訳、どちらもプロにしかできない技だ。逐次通訳は短期記憶力とその持続が重要になるため、体力・気力との勝負になる。同時も逐次もそれぞれに難しさがあり、両方とも体力と気力を消耗するとのこと。

「同時通訳は、たとえ1時間でも2名体制で行う一方、逐次通訳は2時間ぐらいまで一人で対応しなくてはなりません。逐次通訳ですと、通訳のために話を区切るのを忘れて、しゃべり続けてしまう人がいます。こういったことが逐次通訳の大変さです。一方、同時通訳は、早口の方や原稿を棒読みする方ですと、ついていくのがとても大変。逐次通訳以上に集中していますので、15分交代で仕事をしないと、体力も気力も持ちません。しかしどんなに大変でも、たくさんの方々に出会え、新しい世界を知ることができる通訳の仕事は、とても面白いお仕事だと思いますよ」

最後に、通訳の仕事が大好きと語る神代氏に、リタイアするとしたらいつですか?と失礼な質問をしてみた。

「以前、通訳者同士でそんな会話をしたことがあるのですが、ある通訳仲間がこう言ったのです。『いつ辞めるなんて心配はしなくても大丈夫。仕事の依頼がこなくなるだけだから』」


NORIKO KOJIRO-BROWN 神代(こうじろ)ブラウン典子

AIIC登録の国際会議通訳者。シドニー在住で、三児の母でもある。サイマルアカデミー通訳プログラム終了後、主にオーストラリアで通訳に従事。仕事の疲れはジムで体を動かしリラックスして解消。


この記事は、ニュージーランドのビジネス系無料雑誌「KIWI TIME Vol.111(2019年6月号)」に掲載されたものです。

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