「シェフからマネジメントする側へ」青木哲氏

季節の食材や地元のワイン、日本酒や同店オリジナルのビールなどを楽しむことができる和食レストラン「Musashi」。オークランドに3店舗とセントラルキッチンを兼ねた和食レストラン「Kojiro」の合計4店舗を運営するオーナーでありシェフの青木氏に話を伺った。

勢いで決めた渡航

千葉県で生まれ育ち、北海道の大学で食品化学を学んだ青木氏。卒業後、北海道や関東を中心に店舗展開する和食レストランとんでん(現:株式会社とんでんホールディングス、本店所在地:北海道札幌市)に就職するも、数年後になぜ退職してニュージーランドへ渡航することになったのか、その経緯を聞いてみた。

「就職して、勤務地の東京や埼玉、千葉で合計8年間勤務しました。鮮魚なども扱う和食のレストランで、調理の基礎、優れたオペレーション、いいものを安定的に出せるノウハウを学ばせてもらいました。最初はシェフから経験を積み、その後に店長職を経験しました。でも、28歳の頃、自分でやりたい、独立したいと思い始めて、退職を決意しました」

友人と一緒に、東京で何かをしようと話を進めていた青木氏。あるきっかけでニュージーランドを知り、それから渡航とビジネスの計画を立て始めたという。

「ニュージーランドの事を調べていく中で、ニュージーランド国内で日本食材を扱っている卸会社の社長に繋がったんです。そして『日本に行く機会があるから、お話しましょうか』と言って下さって、都内にあるホテルのカフェでお会いしました。『レストランをやりたいんですけど、チャンスありますか』てお聞きしたら、『あるんじゃないの』と。その後のメールでの質問にも丁寧に答えてくださり、この時の出会いが無かったら、ニュージーランドに来ていなかった、来れなかったかもしれません」

2006年11月、セントヘリアスに1店舗目を開店。ビジネスパートナーがホールを担当し、青木氏は料理を担当、二人三脚でスタートした。約3年後の2009年5月、ミルフォードに2店舗目を開店。まもなくして、ビジネスパートナーが日本へ帰国する事になり、両店舗を青木氏がオーナーとして運営する事となった。

シェフからマネジメントする側へ変化

「マネジメントするようになって、そこから新たなスタートでした。料理に関しては準備が出来ていたけど、経営に関しては素人なので、今でも苦労しています。失敗ばかりで、常に改善、改善を繰り返しています。『自分はこうやっていた』という考え方で、失敗する事があります。『こういう風に習った、こんな風にやってきた』とか、そういった考え方が、変化する事を邪魔するんですよ」

青木氏は「自分自身が学んできた事と、そうではないやり方で教える事が、すごく難しい」、「我を通していると、上手くいかない。上手くいかないから、止む得ず変化を求められるようになった」とも話してくれた。

「日本で働いている時、気性が荒々しかったんですよ。イライラもしていたし、なんでこんな事が出来ないんだ、とか思っていました。でも、その発想自体が間違えで、自分を基準に判断してはいけない、どうやったら理解してくれるのか、覚えてくれるのかとか『どうやったら』と考えられるように、変化しました。それまでは、結構、我が強かったと思います。

人が離れた時、あまり表には出さないけど、結構、傷つきますよね。でも離れるという事は、会社の仕組みに問題があるとか何かしらの原因がある訳で、そこを直して改善したいから、離れる理由を、なるべく聞くようにしています。すぐには対応できないけど、頭に入れておいて、その後にどうすればいいのか、と考えて進めています」

料理の味を指導する以外に、人事や給与、経費などの運営に関わる事全てを判断する立場になり、失敗や判断に迷った時、変化を求められた時の対処方法について聞いてみた。

「本だと思います。哲学的なものから心理学、経済学に関するものまで、色々な本を読みあさっていました。何度も読む本は、『菜根譚(さいこんたん)』と言う本。この本をぱっと開いて読んだら、自分は間違っていたんだとか、これで良かったんだとか、自然と素直になれる本で、お勧めです。それともう1つ、店名でもある、宮本武蔵の本。小説の内容になりますが、剣とはなんだろう、失敗しながらでも負けない。試行錯誤しながら進む、謙虚な姿勢をもつ宮本武蔵みたいに、自分もなりたいと思いながら、何度も読み返しています。現在も、色々な本を読んで勉強していますが、対処方法というよりも、本から考え方を学んで、さまざまな問題に対処しています」

セントラルキッチン

開店当初から、多店舗展開する事を視野に入れたメニュー構成で作成をしていた青木氏。レストランが2店舗に増えた際も大量な食材の仕込みを1店舗で行い、一定のスキルを持つシェフ達が料理をした際に、それぞれが同じ味で作る事ができるように心がけていたという。

「2015年5月に3店舗目が開店した頃までは、セントへリアス店で仕込みを行っていましたが、キャパオーバーというか、食材の量が多すぎて作業する事が難しくなったので、ファクトリー目的で店舗を借りました。そこでは、長時間煮込むソース作りや大量の食材である鶏肉の切り分けや魚のうろこ取りなどの仕込みをして、各店舗に毎日配達しています。その後は、各店舗で刺身などに調理加工しています」

ファクトリー目的で借りた店舗の場所はモーターウェイが近く、各店舗への配達に適した場所。当初はその場所で仕込みだけを行っていたが、入り口手前の部分を4店舗目、店名を『KOJIRO』としてレストランの営業を開始、2015年9月のことである。同レストランの周囲には会社が多く、昼食時には多くの固定客で賑わいをみせている。

自分の立ち位置

「もともと食べ物を科学的に見ているというか、思想は職人気質ではなくて、理由を考える癖があったかもしれません。味に関していえば、現在のスタッフの能力があるので、各店舗のみんなの力を信頼しています。新しいメニューを作る時は、自分でアイディアを出すより、各店舗のシェフやフロアースタッフ達が出してくる方が、的を得ていることが多いですね。そのアイディアに対して、ニュージーランドの目線と食材の流通の問題などを検討して、これは使えないからこの食材で代用できないか、などの修正をします。そういったサポートの部分に、自分の位置があるのかな、と考えています。

自分自身もシェフだから、料理で表現したいという考え方には、今でも苦労しています。でも、自分が作りたい料理とお客さまが求めている料理は違う事があるから、作りたいだけではすぐにイエスとは言えなくて。お客さまの需要がその料理にあるのか、という部分が一番大事ですね。需要があるかどうかは、感覚と実際にやってみて、反応を見ながら判断しています。だめならその料理はメニューから外す、そういった経験は、きっと楽しいんじゃないかなと思っています」

今後の課題

「現在は4店舗なので、どうにか廻っているけど、今後は、人事部や商品部など、細かくポジションを設けていきたいと考えています。スタッフの多くは日本人で、この国では外国人。だから、ビザの問題が大きく関係してきます。会社として、ビザに適応できるような会社の評価システムを求められていると思います。例えば、ミドルスキルが欲しいけど何をしたら、どのレベルだとこの給与に反映するのかという部分、シェフに限らず全ての職種に関して明確にしていく事が、現在の会社の一番の課題であり、改善すべき部分ですね」

現地や外国人スタッフにも評価を明確にする事で、各人のレベル向上にもつながる。数年前まで、我が強かったという青木氏だが、優秀な経営者の考え方をしていると感じた。青木氏は、周りに育ててもらっているんですと笑顔で話を締めくくった。

青木 哲:SATORU AOKI

Grace Earth Limited代表。オークランド在住。趣味はバスケットボール。

この記事は、ニュージーランドの日本語フリーペーパー「KIWI TIME Vol.109(2019年4月号)」に掲載されたものです。

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